色とりどりのレゴブロックと出会って目を輝かせたのは1歳のとき。以来ずっとレゴブロックとともに人生を歩み、現在は日本で唯一、世界でも22人しかいない「レゴ社が認めるプロビルダー」となった三井淳平さん。綿密なリサーチに基づくそのレゴ作品は世の中を驚かせ続けています。
見方によっては、三井さんは“好きなことだけにひたすら打ち込んできた人”だと思うかもしれません。しかしその歩みを追いかけると、大企業でキャリアをスタートし、レゴブロックを通じて顧客の課題解決に貢献するビジネスパーソンとしての姿が強く印象に残ります。
「クライアントワークがあるからこそ、大好きなレゴと向き合い続けられるんです」
そう話す三井さんの真意を、大量のレゴブロックに覆い尽くされたアトリエで聞きました。
対象物を徹底的にリサーチし、説得力のある作品が生まれる
──写真では拝見していましたが、三井さんのアトリエは本当にたくさんのレゴブロックに囲まれているんですね。
はい。ふたつのフロアを借りているのですが、ほぼ全てが倉庫になっている状態で、現在ではだいたい400万ピースくらいのレゴブロックがあります。
──400万ピースも! ちなみにこちらは、2020年に発表された『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』ですか?
これは後日に制作したミニチュアスケールですが、デザイン自体は実物とほぼ同じです。
この『神奈川沖浪裏』を制作する際には、論文を読み漁って波の動きを研究しました。物理的に正しい波の動きを再現したり、逆に正しさを少し崩すことであえて違和感を持たせる箇所を作ったりと、工夫を重ねています。
──緻密な計算に基づいて作られているんですね。
私は作品を制作する際に、対象物についてリサーチすることを重視しているんです。バックグラウンドを理解しないまま制作すると説得力のない作品になってしまう気がしていて。
対象物がたどってきた歴史も然りですね。例えば実在の建物を再現する際には、その建物を設計した人が過去にどんなものを作ってきたのか、どんな思想を大切にしていたのかまで理解するように心がけています。
──『神奈川沖浪裏』の場合、そうしたリサーチを含めた制作期間は?
期間で言うと4カ月ほどでしょうか。実際にかけた時間は500時間程度になります。
レゴ作品制作を通じて身に付けたバックキャスト思考
──三井さんとレゴブロックとの出会いについて教えてください。
物心がついていない時期までさかのぼるんですよね。実家には、レゴで遊んでいる1歳の私の写真が残っています。記憶に残っているのは4歳くらいのとき。大きな海賊船のセットを組み上げ、幼いながらも充実感を味わっていたのを覚えています。
──過去のインタビュー記事では、中学生の頃に海外からレゴブロックを個人輸入していたエピソードを披露されていました。
海外に“BrickLink”というサイトがあって、ここでブロックを入手できるんです。もともとはレゴファンのコミュニティの人たちが作ったサイトで、簡単に言えば「レゴブロックに特化したフリマサイト」ですね。個人が持っているパーツを登録し、任意の価格で販売できます。
この仕組みの素晴らしいところは、必要なブロックだけを買えること。例えば白い雪だるまを作りたいと思えば、白いブロックだけを指定して入手できます。市販されているセットを買って、そこからほしいブロックだけを取り出すやり方は、中学生の自分にとって資金的に限界があったんですよ。
──もはや「資材として仕入れる」という次元ですね。そうしてレゴ作品制作に夢中になる一方、三井さんは灘高校から東京大学と絵に描いたようなエリートコースを歩んでいます。
勉強そのものは好きでしたし、学校でやるべきことをやって、余った時間でレゴ作品
作りに熱中するという子ども時代でした。ある程度は試験などで結果を出していたので、レゴ作品作りにのめり込んでいることについて親から何かを言われることはありませんでした。
──これはよく聞かれることかもしれませんが、ご自身ではレゴブロックと学力に相関性があると思いますか?
科学的な見地については分かりません。ただ個人の感覚としては、論理的な思考をするようになるとか、試行錯誤をする癖がつくとか、学習に必要なサイクルを身に付ける上でレゴ遊びが大いに役立ったと思っています。
作品を作る際には自分の中で順序立てて考え、ブロックを準備して、計画に沿って組み合わせを実現していくという段取りが必要です。大きな作品となれば強度も考えなければならない。そんなふうに目指す結果からバックキャスト思考で考える習慣は、中学生の頃から持っていたかもしれませんね。
テレビに出るからには、作品を楽しんでもらわないといけない
──キャリアグラフについて伺います。三井さんは2005年、高校3年生のときにテレビ番組の『TVチャンピオン』レゴブロック王選手権に出演しています。このきっかけは?
中学3年生のときに、自分の作品を紹介するためのサイトを作りました。そのサイトを見た番組関係者から連絡をもらったことがきっかけでした。
『TVチャンピオン』出演は転機のひとつでしたね。それまで純粋に好きで作り続けてきたレゴ作品に、初めて予算がつくという経験をしたからです。たくさんのブロックを入手し、決められたスケジュールに沿って作品を作る。ある意味では、私が仕事としてレゴに取り組んだ最初の一歩だったのかもしれません。
──結果は準優勝でした。好きで続けてきたレゴで、順位がつくという経験も初めてだったのではないでしょうか。
そうですね。作品への採点や評価については審査員次第の部分もあるので、そこまで気にしていませんでした。一方で、「誰かに見られることを意識して作らないといけないんだな」と深く考えるようになりました。テレビ番組に出演する以上は、自分の作りたいものを作って発表するだけではなく、作品を見た人に楽しんでもらわなければいけないのだと。
この番組を見る人はどんな年齢層なんだろう? どんな志向性を持っているんだろう?
そんなことを考えながら制作に取り組んでいたのを覚えています。このときに私は、レゴブロックを通じてマーケティング的な視点を学んだのだと思います。
「事業としてのレゴ作品制作」を構想し始めた原体験
──2006年に東京大学理科一類へ進み、早々に「東大レゴ部」を設立しています。
ともに東大レゴ部を設立したメンバーである先輩のことは、実は入学前から一方的に知っていました。mixiに「レゴブロックで安田講堂を再現したい」というスレッドを立てている現役東大生がいて、とても気になっていたんです。入学後、その人に声をかけて東大レゴ部を立ち上げました。
設立当初のメンバーは5人。私のように“ガチ”でレゴ作品制作に取り組んできた人もいましたが、ほとんどは純粋にレゴブロックが大好きという動機で集まったメンバーです。私が考えた構想やデザインをもとに、いろいろな人に手伝ってもらって形にしていく。それまでは個人プレーで取り組んできたレゴを組織で作り上げるという貴重な経験をしました。
──23歳のときには「東大総長賞」を受賞し、キャリアグラフも上昇していますね。
東大総長賞では、社会貢献につながる活動をした学生も表彰されます。私は子どもたち向けに、教育的な要素を含んだワークショップをレゴブロックを使って行ったり、海外交流につながる取り組みを進めたりしていて、こうした活動を評価してもらいました。
──当時の活動は、将来的に事業につながりそうなイメージを持って進めていたのですか?
具体的なビジネスアイデアとして完成させられていたわけではありませんが、「レゴ作品制作を仕事にできるかもしれない」という展望を抱きつつあった時期でしたね。
レゴのプロになるとはどういうことなのか。興味を持っていろいろと調べ、海外の関係者とコンタクトを取って、「レゴ認定プロビルダー」という専門職としての資格取得を目指すようになりました。
ただ「好き」というだけでは選ばれない。日本人初プロビルダーへの道
──結果、三井さんは24歳のときに世界最年少(当時)で「レゴ認定プロビルダー」に就任しています。
私がプロビルダーに選ばれた頃は、世界でもまだ12人しか先例がありませんでした。現在でもプロビルダーは全世界で22人だけ、日本人では私のみです。
これはレゴ社が認定するオフィシャルのライセンス。プロとして活動することによって、大きな課題であるブロック調達などはぐんと前に進むことになります。ただ、プロといってもレゴを専業にしなければいけないわけではありません。海外では弁護士や設計士、教員などの本業を持ちながら、パートタイムで活動しているプロビルダーもたくさんいます。
──三井さんはなぜプロビルダーになれたのでしょうか。レゴが大好きで、作品作りを得意とする人は国内にもたくさんいると思います。「好き」と「プロ」の違いとは?
それはひとえに「仕事として取り組む意思があるか」によるのではないでしょうか。
仕事としてレゴに取り組むためには幅広いジャンルの作品を作れる必要がありますし、ビジネススキルも求められます。プロビルダーになるための過程にはレゴ社との面談があって、そこでは自分自身のビジネスプランをプレゼンテーションし、認められなければいけないんですよ。「私はこんな作品を作って、こんなジャンルの業界に価値提供していきたい」といったプランを伝えるわけです。
そうした要素も含めて、プロビルダーになるのは簡単ではありません。レゴ社の立場で考えれば当然ですよね。レゴ社と同じ視点で、レゴを使って新しい価値を生み出したいと考えている人でなければ、プロビルダーに認定する意味がありませんから。
プロビルダーは単なるお抱えクリエイターではないし、広告塔でもありません。ユーザーを向いてともに新規事業を開発していく、レゴ社の強力なパートナーなんです。
「誰かの期待に応える」ことこそが楽しいと気づいた
──プロビルダーとなった三井さんは、大学院修了を経て大手鉄鋼メーカーに入社しています。ここで就職を選んだ背景にはどんな思いがあったのでしょうか。
大学院まで金属材料を研究したこともあって、私はレゴとは別に、職業としてのエンジニアを目指していました。大手鉄鋼メーカーを選んだのは、自分の興味のある金属材料の分野でエンジニアとして活躍できると思ったからです。
入社後は品質管理部に配属されました。千葉県内の製鉄所に勤務し、工場の操業条件を計画したり、現場の人にテスト業務をお願いしたり、海外のエネルギー企業と協業したり。さまざまな仕事を経験させてもらい、やりがいと面白みを感じていました。
──当時の三井さんは、レゴ作品制作をライフワークとして位置づけていたのですか?
プロビルダーになるまでは、そうでしたね。
大人のレゴファン層には、仕事で稼いだお金で好きな作品を作り続けている人がたくさんいます。プロになる前は、そうしたレゴブロックとの付き合い方が理想的だと考えていました。
ただ、実際にプロビルダーとしての活動を開始したことで視点が変わりました。そもそも、「自分の作りたいもの」とは何だろう? と考えるようになって。
──言葉通りの意味ではないでしょうか? 自分が作りたいと思うものを、自由に作る。
私の場合はそうではないことに気づいたんです。プロビルダーは、企業などからの依頼を受け、オーダーに基づいて作品を作ります。そうやって「誰かの期待に応えるために作る」ことが、想像していた以上に楽しかったんですよね。
誰かが「レゴブロックでこんなものを作れたらいいな」と考え、私に依頼してくれる。私はその依頼に応え、作品を見て喜んでくれる人たちのために作る。これこそ自分がやりがいを感じられる道だと思って、会社員を続けながらプロビルダーとしての活動も加速させていきました。
会社員との両立の限界、「レゴ1本」を決意するまで
──その後、3年間の勤務を経て三井さんは会社を離れ、レゴ作品制作に振り切ったキャリアを歩み始めました。この期間にはどのような心境の変化があったのでしょうか。
当初は、時間さえあれば仕事もレゴ作品制作も両立できると考えていたんですよ。無理にどちらかに振り切る必要はないと。
会社員とプロビルダーを両立していたからこそ得られたものもあったと思います。会社員経験を経ずにいきなりプロビルダーとして独立していたら、私はビジネスパーソンとしての一般常識を持たず、仕事の回し方もクライアントとの折衝の仕方も分からない人間になっていたかもしれません。会社員として、さまざまな業種の会社と協業する経験も貴重でした。
しかし、レゴ作品制作の仕事が徐々に増えていくに連れて、私は「物理的に時間が足りない」という問題に直面することとなりました。時間を作るために、最終的には睡眠時間を削るしかない状況になってしまって。これはさすがに両立の限界が来たのかもしれないと感じ、レゴ1本でやっていくことを決意したんです。
──ただ、レゴ認定プロビルダーは国内には三井さんしかいない、つまり日本ではこれ1本で食べているロールモデルがいなかったわけですよね。収入面の不安はありませんでしたか?
確かに国内にはロールモデルはいませんでしたが、海外に目を向ければ心強い先輩たちがいました。海外で活動する十数名のプロビルダーの中には、レゴ1本で生計を立てている人もいましたから。
私自身も、プロビルダーになってからの3年強でさまざまな仕事を経験させてもらっていました。どれくらいの頻度で仕事が入ってくるのか、どんなふうに予算がつくのか。そうしたデータと実感値を持っていたので、独立してやっていくことにも不安は感じませんでしたね。
何でも作れるレゴブロックだからこそ、どんな業界とも相性がいい
──プロビルダーのもとへは、どんなニーズが寄せられるのですか?
私の場合、全体の約3分の1はレゴ社から依頼される仕事です。レゴ社が開催する国内イベント向けの作品制作依頼などがそれにあたります。
残る3分の2はプロジェクト単位で、さまざまな業界から、さまざまな案件をご依頼いただいています。重機メーカーさんからの依頼で大きなショベルカーを制作したり、テレビ局からの依頼で番組用に制作したり、ハリウッド映画のプロモーションを手伝ったり。
──NHKや『スターウォーズ』などの大型案件を担当するようになって、キャリアグラフもどんどん上昇していますね。
規模の大きな案件になればなるほど世の中から返ってくる反響も大きいし、自分自身もスケールアップしていく感覚を得られます。その分だけやりがいもありますよね。
レゴブロックの良さって、「アイデア次第で何でも作れる」ところだと思うんですよ。その意味ではどんな業界とも相性がいいんです。
──今まで引き受けた中で、最もハードだった案件はなんでしたか?
「ゲームのキャラクターを3メートル規模の大きさで再現し、新宿の街なかに飾りたい」というご依頼ですね。不特定多数の人が通行する屋外の展示ということもあって、安全面を考慮し強度を確保する必要がありました。このときはレゴブロックの内側に配置する鉄のフレームを設計し、サンプルを作って鉄骨業者さんとの打ち合わせを何度も重ねました。
自分から「やりたいことを仕掛ける」クライアントワークの秘訣
──次々と制作依頼が寄せられ、期待に応え続けていく中で、三井さんは作り手としてのモチベーションをどのようにして保っていますか?
作り手としてのモチベーションですか……。
もしかすると、自分の作りたいものだけを作っていたら、私はどこかで創作意欲を失っていたかもしれませんね。クライアントワークがメインだからこそ、モチベーションを落とすことなく続けられているのかもしれません。
プロビルダーとして、決められた制作期間や予算の中で仕事を完遂し、また新たなプロジェクトに突入していく。このサイクルを繰り返すことによって、毎回新鮮な気持ちで作品作りに向き合えていると感じます。
──もし鉄鋼メーカー時代に会社員としてキャリアを歩み続けることを選択し、レゴ作品制作はライフワークとして好きなものだけを作るという選択をしていたら、どこかで作品制作をやめていた可能性も?
あると思います。
「好きなことをやって生きている」人って、必ずしも純粋に好きなものだけに向き合い続けているわけではないのかもしれません。私はもちろんレゴブロックが大好きなんですけど、大前提として「ものづくり自体が好き」という思いがあるので、エンジニアとしてレゴブロック以外の素材に目が向いていた可能性もありますね。
──クライアントワークというと「先方都合に振り回される」「自分のアイデアを生かしきれない」など、ネガティブに捉える人も少なくないかもしれません。しかし三井さんは一貫してクライアントワークをポジティブに語っています。三井さんが思うクライアントワークの魅力とは?
仕事を「クライアントの課題を解決すること」だと捉えれば、クライアントワークの見方が変わるんじゃないかと思っています。
課題を解決するという意志があれば、必ずしも先方に言われるがまま動くことだけが正解ではないと考えられるじゃないですか。「こうすればもっと面白くなりますよ」「このアイデアの方がゴールに近づけると思いますよ」と提案する機会も増えていくはず。やらされ感のあるクライアントワークではなく、自分からやりたいことを仕掛けていくクライアントワークに変わっていくと思うんですよね。
売り上げ半減のコロナ禍で見出した新たな可能性
──キャリアグラフでは、2020年のタイミングだけ大きく落ち込んでいます。コロナ禍の影響はやはり大きかったのでしょうか。
はい。会社の売り上げでいうと約半減。創業からずっと黒字を続けていたのですが、2020年は初めて赤字になってしまいました。
ある意味では不可抗力というか、仕方のない部分もあったと思います。イベントなどたくさん人が集まる場所に作品を作る仕事がメインだったので、人の集まりそのものに制限がかかってしまってはどうしようもありません。2021年以降はイベントも徐々に再開されるようになり、黒字に戻っていますよ。
──コロナ禍で通常運転にブレーキがかかったからこそ、新しい可能性を見出せたのですね。
はい。クライアントワークの調子がいいときは寄せられるご依頼に応えることに必死で、新しい方向性を考えることにはどうしても消極的になってしまうところがあったのだと思います。そうした意味では、2020年は私にとって良い充電期間だったのかもしれません。
これからの時代を担う人の創作意欲を刺激する存在でありたい
──三井さんは今後も、プロビルダーとして自ら第一線で作品を作り続けていくのでしょうか。
そうしたいと思っています。私ひとりでできることには限界があるので、今はスタッフにも手伝ってもらっていますが、会社経営者としての動きに振り切るつもりはありません。やっぱり根底にはものづくりに携わり続けたいという思いがあるので。
それに、小規模でやっているからこそコロナ禍のような危機があっても会社を存続できたのだと思います。小さい組織なら、半年ほどクライアントワークを止めて新しいことに挑戦するといった大胆な取り組みもできます。これが大きい会社だとなかなかそうはいきませんよね。
──あらためて、三井さんがレゴブロックを通じて世の中に提供したい価値とは?
レゴ作品の完成形を見て楽しんでもらうことはもちろんですが、それだけではなく、「作品が出来上がるまでの過程」も含めて世の中に刺激を与えられたらいいなと考えています。
兵庫県の神戸市と淡路島を結ぶ明石海峡大橋をご存じでしょうか。つい最近まで「世界最長の吊り橋」としてギネス世界記録に認定されていた橋です。私は実家が近いこともあって、この巨大な建造物ができあがるまでの過程を見ながら育ったんですよ。
私が小学校に上がる前に土台作りが始まり、主塔が徐々に建っていって、キャットウォークと呼ばれる細い通路ができて、橋桁が日がたてばたつほど伸びていって……。着工から供用開始までの約10年間を見守りながら、私は「すごいものを作っているなあ」とワクワクしながら成長していったんですね。
明石海峡大橋を作った人たちのように、私もこれからの時代を担う誰かの創作意欲を刺激する存在でありたいと思います。抑えきれないほどの好奇心を持ち、新しいことに挑戦したいと考える人の背中を押す存在になりたい。
それが、私がレゴブロックと向き合い続けている理由です。
取材・文:多田慎介
撮影:安井信介
編集:野村英之(プレスラボ)