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くまモンが黒いのにもワケがある。凄腕クリエイティブディレクターのアウトプット術|水野学の履歴書

誰もが知る熊本県のPRキャラクター「くまモン」や、徹底してその世界観を貫く「中川政七商店」。それらのデザインやブランディングを手がけたのがgood design company代表の水野学さんです。独自の切り口からブランドの世界観を描き出す“クリエイティブディレクター”としてのキャリアを歩んできた水野さんの「履歴書」を深堀りします。

水野学さんの履歴書メインカット

good design companyの代表取締役であり、数多くの企業ブランディングに携わってきた水野学(みずの・まなぶ/@g_d_c)さん。熊本県のPRキャラクターである「くまモン」や、日本の工芸技術を活かした製品を中心としたこだわりの光る「中川政七商店」など、誰もが一度は目にしたことのあるデザインを手がけてきたことでも知られています。

水野さんの仕事はデザインにとどまらず、クライアントであるお店や企業のブランディングにも及びます。かつては広告代理店への入社を目指していたという水野さんですが、広告とは別の切り口で仕事をしていたことが、結果として今につながっているといいます。

水野さんの考えるブランディングとは「その企業の“らしさ”を最大限に引き出し、世界観をつくり上げていく」こと。企業の経営そのものに影響を与えることも多い仕事にどのように向き合っているのでしょうか。水野さんの仕事論とアウトプット術を伺いました。

水野学さんの履歴書


水野学さん:good design company代表取締役。クリエイティブディレクター・クリエイティブコンサルタント。1972年生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業後、2社を経て独立し、自宅の押入れでgood design companyを設立。ロゴデザインやパッケージデザインをはじめ、長期的なブランドコンサルティング案件も手がける。主な仕事に相鉄グループ、熊本県「くまモン」、Oisix、久原本家「茅乃舎」など。広告やデザインの分野で受賞歴も多数。著書に『世界観をつくる「感性×知性」の仕事術』(山口周氏との共著・朝日新聞出版)『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義』(誠文堂新光社)など。

活発な少年時代からデザインの道へシフトチェンジ。広告業界の片隅で始まったキャリア

──「くまモン」「茅乃舎」など数々のクリエイティブを手がけてきた水野さんですが、美術やデザインは子どものときから好きだったのですか?

幼少時代は外で走り回ったり野球をしたりする活発なタイプで、高校生になったら甲子園に……という夢を抱く野球少年でした。ところが小学5年生の冬に交通事故にあってしまったんです。膝の靭帯を断裂する大きなケガでした。事故によって運動ができない期間が1年ほどあって、野球で夢を叶えられなくなってしまったんです。勉強も得意ではなかったし、中学生になっても品行方正な生徒ではありませんでした。

水野学さんの肖像

勉強は苦手でしたが、美術の授業だけは唯一楽しかったんです。中学校で美術を担当していた山本幹雄先生という方がとても魅力的な方で、美術を教えるだけでなく、社会課題にも関心が強く、おまけにスポーツも万能。「カッコいいな」と思いながら授業を受けていましたね。先生のおかげか、美術の授業を好きになって、その延長でファッションや音楽にも興味を持つようになりました。

高校時代はバイクとバイトの日々で、勉強は二の次(笑)。16歳や18歳の誕生日に免許が取れるように計算して教習所に通っていたくらい、バイクやクルマに夢中でした。

──そこから美大に進学したきっかけは何だったんでしょうか?

そもそも、大学に行こうとは思っていませんでした。でも高校卒業が近づいてきて、いざ進路を決めなくてはならないという時期がせまってくると、18歳で社会に出ることにはまだ不安があったんです。社会に出るまでにもう少し助走期間がほしいなと思って、大学に行けば4年間猶予期間が得られるぞ、と思ったんですね。

それで高2の夏ごろ、先生に進学を相談したら「お前は美大か体育大だ」とだけ言われて。成績が良くないのが理由だったのか、なぜ選択肢がそのふたつだけだったのかわかりませんが、体育会系のノリで大学生活を過ごすイメージがわかず、中学時代から美術だけは興味がずっとあったので「じゃあ美大」って即答しました(笑)。とはいえ簡単に受かることもなく、それから一浪して多摩美術大学(以下、多摩美)に進学しました。

──野球少年だった小学生時代から、中学校で美術の先生との出会いをきっかけに、美術の道へ進んだのですね! ここからはその後のキャリアについて伺います。就職活動ではどんな進路を希望していたのでしょうか?

水野学さんのキャリアグラフ1

能天気な人間なので、あまり真剣に活動していなかったのが正直なところです。多摩美のグラフィックデザイン科の学生の多くは、その専門性から電通か博報堂への就職を考える人が多いんです。僕もそのひとりで、どっちに行こうかな、なんて迷ってたんですよ(笑)。でも現実にはどっちも受からなくて(爆)。電通と博報堂だけではなく、広告代理店は全部落ちたんです。

業界を変えて映像系の会社にエントリーしたものの、そっちもダメで、ようやく雇ってもらえたのが1社目のパブロプロダクションでした。代理店からの発注を受けて広告を制作する会社で、自分が目指していた最初のステージからは大きく外れてしまったので、キャリアの状態としてはマイナススタートです。

水野さんの学生時代、20歳のころ

水野さんの学生時代、20歳のころ。

──1997年、2社目となる株式会社ドラフトに入社したときは、キャリアの状態が大きく跳ね上がりますね。

当時、ドラフトといえば広告系のデザイン会社のなかでも存在感が強く、代理店ともわたり合えるようなところだったんです。そこへ入れたことで、有頂天になっていたというか……(笑)。でも、ドラフトではとても忙しくて、深夜まで働くこともしばしば。「当時の業界らしい」働き方といえばそうなのですが、徹夜明けで、朝の情報番組を恵比寿の居酒屋で眺める、なんてこともありましたね。

──そんなハードワークの中、充実感はあったのでしょうか?

充実……といっていいのかは悩みますが、人生のなかで“ああいう時期”があってよかったなと今では感じます。とにかくがむしゃらに仕事をしていたことで、自分の限界みたいなものが見えたように思います。どのくらい無理をすると本当に無理になってしまうのか、自分の意思だけではなかなか追い込めませんから(笑)。

2社目を退職後、海外を放浪。友人からの依頼で再びデザインの仕事を始め、ディレクションの道へ

──1年後の1998年にドラフトを退社し、good design companyの設立となるわけですが、この間はどんなことをしていたのでしょうか?

ドラフトを辞めてからは、バックパッカーになって2~3ヶ月間ヨーロッパをまわりました。フランスのパリからロンドン、スペインのマラガまで。有意義な旅でしたが、帰国したときは、仕事も決まっておらず、やることが何もなくなっちゃった(笑)。しばらくは近所の書店で四六時中立ち読みしたり、渋谷のハチ公前で人間観察をしたりして過ごしていました。もちろん収入もなく、失業手当をもらっていた期間です。

水野さん、ロンドン滞在時の1枚

水野さん、ロンドン滞在時の1枚。

「次はなんの仕事をしようか」と考え始めていたとき、友人から「結婚報告のDMのデザインを頼めないか」と連絡があって、それが僕個人としての最初の案件でした。するとそのDMをきっかけに、雑貨店で販売するポストカードデザインや工務店のパンフレット制作といった相談が舞い込むようになったんです。収入は全然多くなかったのですが、1998年11月に自宅で会社を設立しました。ドラフトを辞めてからは収入ゼロだったので、キャリアの状態としては会社設立前あたりがどん底、それ以降は右肩上がりといえますね(笑)。

──good design companyの設立が1998年、26歳のころ。それから4年が経過した2002年に、山形県の旅館「亀や」の新業態である「湯どの庵」のトータルディレクションを手がけることになります。初のトータルディレクションということですが、それまで携わったデザインの仕事と違っていたところはありましたか?

水野学さんのキャリアグラフ2

「湯どの庵」の仕事では、館内の案内表示やパンフレットのデザインなどをしました。それだけでなく、「近隣の農家さんが作った、こだわりの石けんをアメニティとして置きたい」という相談があり、その包装デザインとして折り紙のように一つひとつ手仕事で包むという提案をしたことも。さらに、お膳で箸を留める帯のような紙「箸留め」の太さをどうするかとか、どうロゴを入れるかとか。そういった細部まで考え抜いてディレクションしていきました。

当時は今ほどモダンな旅館やおしゃれな旅館が多くなかったので、湯どの庵の仕事はとても評判がよく、クライアントも喜んでくれた。このディレクションが成功したことで、本体である「亀や」さんが改装する際も声をかけてくださったんです。

──広告やデザインというと、数々の賞があり、水野さんも多くの受賞歴をお持ちです。初めての受賞となるJAGDA新人賞*1は2003年、31歳のときですね。

(※)その年の優れたグラフィック作品を集大成した年鑑「Graphic Design in Japan」を発行する、公益社団法人日本グラフィックデザイン協会による賞。

JAGDA新人賞を受賞できるのは、年間で3人。僕のかつての同期がそれまでに3人も受賞していたんです。僕は賞に関心の強いほうではないのですが、同期が評価されているのを見ると「負けないぞ」といい刺激になります。

JAGDA新人賞は、エントリーするのにお金がかかるんです。会社設立初期は自分の納得のいくものを出品する余裕がなかったんですが、起業して5年経ってようやく出品できる経営状態になりました。ちょうど仕事が軌道に乗り始めた時期ですね。

水野さん、30歳、adidas展示会にて

30歳、adidas展示会にて。

──30歳前後ってキャリアを少しずつ重ねてきて、同じ仕事をしている同期の様子や周囲からの評価も気になる時期だと思います。当時、どんなことを思って仕事をしていましたか?

当時のリアルな生活を思い出すと、僕は周囲のことを全然気にしていませんでした。というのも、僕のように実績も何もない人間に仕事を頼んでくれる人たちの存在が本当にありがたくて、うれしくて、依頼に応えるべく目の前の仕事をどれだけ真剣にやるか、しか考えていなかった……。少し前まで収入ゼロの人間だったわけですから、依頼してくれる人たちの思いに応え、今よりも0.1ミリでもいいものにしようと思って、とにかく仕事に打ち込んでいました。

「石けんの包み紙」「挨拶のオペレーション」……全ての“デザイン”がブランディングになる

──今でこそブランディングという言葉は多くの企業でも意識するところとなっていますが、水野さんはそれよりも前からブランディングといえる案件を手がけていますよね。

そうですね。たとえば中川政七商店さんからの最初の依頼は2007年、ショッピングバッグのデザインがスタート地点でした。くまモンも当初は「くまもとサプライズ」というキャンペーンのロゴ制作という、キャラクター制作とは全く違う依頼だったんです。

水野学さんの横顔

──それだけ見ていると、ブランディングとはあまり関係がなさそうな感じもします。そこから企業ロゴデザインやキャラクター制作にはどのようにつながっていったんですか?

正直、時代に恵まれていた面も大きいと思います。僕は1996年に大学を卒業して、当時は広告全盛期の時代でした。どの企業もCMや新聞広告、チラシといったような媒体を使って広告を出すことが消費者への唯一のアプローチ方法でした。僕の同期の多くは代理店へ入社して、大きな予算を持って広告をつくっていました。

一方、僕の仕事は石けんの包み紙のデザインを考える、といった細かなこと。でもそれが、ブランディングを重視せねばならない今の時代に合致したんだと思います。

ブランドというのは広告媒体に頼らない、その企業だけが持っているオウンドメディアなんです。僕はそれを「世界観」とも表現しますが、その「企業らしさ=世界観」を表現するために、たとえば石けんの包み紙ひとつから、店舗での挨拶のしかたなどのオペレーションまで全てを考え、消費者の方に「世界観」を感じてもらう。それがブランディングだと考えています。

──同じクリエイティブでも、広告とブランディングでは大きく異なるアプローチが必要なのですね。

僕が関わってきたのは、広告媒体に頼らない、比較的、低予算の仕事でした。ですから、お金をあまりかけなくてもできる「今あるものをよりよくする」ことを考える機会が多く、それがブランディングという概念にフィットしたんです。

どんなに予算をかけて効果的な広告を打っても、実際に購入した商品のデザインがいまいちだったり、CMでよく見るからと訪れた旅館が思っていたイメージと違ったり……といったことがあると消費者の方はがっかりですよね。だからこそ、石けんの包み紙ひとつから、商品全般、さらにはその会社の社屋のデザインまで、「会社の世界観全てを表現する=ブランディングする」ために考えた方がいいと思っています。

仕事は「研究と発表」の積み重ね

──そこまで入り込んでいくと、クライアントから嫌がられたり、衝突したりすることはないんでしょうか?

水野学さんの笑顔

僕は「自分の居場所を見失わないこと」が衝突を避ける一番のポイントだと考えています。たとえば僕が広告代理店に勤務しているデザイナーだったとしたら、代理店の最大の仕事である「媒体を売ること」に集中すべきでしょう。代理店におけるデザインはテレビCMや雑誌広告など、その媒体上で最大のパフォーマンスを生むためのサービスであり、広告出稿するクライアントが「この媒体から得られる収益をさらに増やすため」にあるわけです。ですから、広告主のオーダーは基本的には“聞くべきもの”だと思っています。

一方で、ブランディングデザインは、媒体などを介さない、僕とクライアントとの直接の仕事です。デザインの先にある、売り上げ伸長や人材採用といったクライアントの目的が達成されることがゴールなんです。そのためにはクライアントと議論もしますし、「絶対にこっちのデザインのほうがいいですよ」と説得すべきときは、分厚い資料を携えてでも説明しに行きます。僕は、仕事とは研究と発表の積み重ねだと思っています。入念に研究して掘り下げて相手を知ることで議論もできますし、自分の意見への理解も求めやすくなります。

議論のなかで、衝突することももちろんあります。しかし、衝突の多くは正義と正義のぶつかり合いです。自分の仕事や立場を客観視するよう心がけることで、「ここは自分が引くべきところだな」とか「ここはしっかり説明したほうがいいな」と気づけるようになっていきますね。

──自分の仕事や立場を客観視すること、仕事で悩んだときのヒントになりますね。

「上司のことが嫌だ」って思うことありませんか? たとえば上司に何か自分にとって不都合なことを言われたとします。上司がなんで自分にこう言ったのかなって考えると、ひとつは自分の資料が不十分、つまり研究が足りなかった、みたいな可能性も見えてきますよね。もちろん本当に嫌な上司もたくさんいるでしょうから一概には言えませんが、自分の上司がどんな人でも、仕事は研究と発表の場であるということは変わらないはずです。自分の研究が足りていたのか、自分の役割を理解できていたのかなど、一度立ち止まって自分を客観視することは重要だと思いますね。

「感覚も知識の一つ」。クライアントを納得させるアウトプット術

──「研究と発表」という言葉がありましたが、相手に自分の考えを伝え、理解してもらうために心がけていることはありますか?

「感受性」を磨くことです。持って生まれた先天的な感受性は変えられないかもしれませんが、後天的に身につけられる感受性もあります。感受性を磨くには、たくさんのものを見ること。映画や本など過去から学べることも多いですし、とにかく知識を頭に入れていくことが第一段階になります。

一見、知識とは関わりのなさそうな「感覚」も知識の集積なんです。たとえば青い空を見て気持ちいいと感じるのは、「一般的に、青空は気持ちいいものだ」といった知識を経験的に学んでいることも一因でしょう。こうした知識が、気付かぬ間に「感覚」になっていることがある。

仕事の場では特に知識の量が生きますよね。引用できるデータが多いほうが説得性も増しますし、デザインでも同じように「なぜこのフォントにしたのか。このフォントはこうした時代にこうした理由から生まれ……」と、知識や文脈を理解し、それらを織り込んでストーリーが作れれば必然性が生まれます。反対にこうした知識による裏付けがないままつくられたものは、どこかとんちんかんになってしまうことがある。

水野学さんの正面の表情

──水野さんにとって、よいクリエイティブとはどのようにして生まれるのでしょうか?

目新しいものって、実は簡単に作れるんですよ。普通の逆や斜め上をいって、奇抜なアイデアを出せばいいんです。たとえば、化粧品ブランドの広告に男性プロレスラーを起用するとかね。これはまあ時代の流れとしてあり得ることかもしれませんが、単に「目立たせたい」という気持ちから奇をてらうだけでは消費者に受け入れられにくく、ブランドイメージの崩壊につながりかねません。

僕が大切にしているのは、「奇抜さ」ではなく、「共感を生むこと」です。それは「世界観がある」ということなんです。どの企業や組織にも「らしさ」があり、似合う服がある。それをしっかり見定め、スタイリングができている。それが僕のクリエイティブの目指すところです。

たとえば僕がデザインした「くまモン」は黒い熊の姿をしています。それは熊本城が黒いから。目を惹くピンクやテディベアのような茶色ではなく、熊本のイメージを背負うくまモンは黒でないといけない。また、「くまモン」は「くまもと」とひと文字しか違わない。多くの人が、くまモンの先に熊本県をイメージする。色にしても言葉の配列にしても、これらは熊本県に“似合っている”んです。

「目の前の人に喜んでもらいたい」気持ちが、仕事のクオリティを上げていく

水野学さんのキャリアグラフ3

──good design companyと、水野さんと仕事をしたい、というクライアントはたくさんいることと思います。「指名される」人になるために必要なことは何だと思われますか?

相手に喜んでもらえる人になることでしょうか。たとえば今、僕は藤堂さん(インタビュアー)の質問に答えていますが、藤堂さんが「この人は面白いな」とか「話しやすいな」と感じてくれていることが、そのまま記事を読んでくれる読者の喜びにつながると思っています。目の前にいる人に喜んでもらえなければ、その先にいる読者に喜んでもらえるわけがないんです。

──その考え方は、先ほど聞いた「目の前の仕事に全力で取り組む」という姿勢ともリンクします。

そう考えるようになったのは、社会人になりたてのころにモスバーガー(株式会社モスフードサービス)の創業者である櫻田慧さんの逸話を聞いたのがきっかけです。櫻田さんはゴルフ場に行くとそこのトイレの鏡を拭いていたそうなんですよ。それはなぜかというと「後から来た人が気持ちいいでしょう」って。そういったちょっとした気配りってなかなかできないけど、素敵な考え方だなあと思ったんです。

僕も櫻田さんのように、仕事で関わっている人に気持ちよくなってもらいたいし、喜んでもらいたい。いつだったか、弊社の社員に「隣の席にいる先輩後輩を喜ばせてみたらいいじゃん」って言ったことがあります。たとえば1個10円のチョコレートを買ってきて、同僚に渡せばいい。もらうほうからすれば別になくてもいいんだけれど、くれるならうれしいと思いませんか? これを10人にやったら100円かかるけど、10人の同僚は喜んでくれる。まあ、これだとある意味買収になっちゃいますけど(笑)。そんな風に、ほんのささやかなことでも人に喜んでもらう、と考えて継続的に行動できる人は滅多にいない。身の回りの人に喜んでもらうためにプラスアルファを渡すことって大切だよなあといつも考えています。

水野学さんのとびきりの笑顔

──「目の前の人に喜んでもらう」をシンプルに考えると、私たちにもできることがたくさんあるように思えてきました。今、水野さんのキャリアグラフは右肩上がりです。これからチャレンジしてみたい仕事はありますか?

ひとつ考えているのは「まちづくり」です。サステナビリティやSDGsにまつわる活動に取り組む企業も増えていますが、こうした世界観とともに、官民一体でのまちづくりをお手伝いできたら、という気持ちはあります。それから、相鉄グループさんでさせていただいた車両デザインもとても楽しかったので、また機会があれば車両デザインにもトライしてみたいです。

──キャリアグラフがまだ最高値になっていないところも、これからへの希望が込められてている気がします。

キャリアとしてここがピークだと思ったことは、まだありませんね。もちろん今の状態を幸せだと表現することもできますが、もっといい世界やもっといい仕事の方法をどこかで探しています。今以上のことがあるかもしれない。余白はまだまだあると感じています。

──水野さん、ありがとうございました!

取材・文:藤堂真衣
撮影:タカハシアキラ
編集:野村英之(プレスラボ)

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*1:その年の優れたグラフィック作品を集大成した年鑑「Graphic Design in Japan」を発行する、公益社団法人日本グラフィックデザイン協会による賞。