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1300万円で落札されたNFTアートの作者は、ネットに「黒歴史」を残してきた元アイドル|せきぐちあいみの履歴書

NFTやVR、ARなどさまざまな最新技術を用いたアート作品を作り続ける、せきぐちあいみさんの履歴書にフォーカス。舞台俳優、アイドル、YouTuber、レポーター……紆余曲折の仕事遍歴に隠された「人を喜ばせたい」というシンプルな生き方に迫ります。

せきぐちあいみさんの履歴書メインカット

新しいツールを使いこなす人は、しばしば“先見の明がある”と言われます。豊富な知識量を武器に、注目されていないものの価値にいち早く注目する──。先駆者やイノベーターと呼ばれる人に対して、そんなイメージを抱く方も少なくないでしょう。

“VR元年”とも言われる2016年からVRアートの制作を始め、現在、VR空間に立体的な絵を描くVRアーティストとして世界的に活躍するせきぐちあいみさんは、「自分に先見の明なんてない」と言い切ります。

せきぐちさんがこれまでに挑戦した仕事は、舞台俳優、アイドル、YouTuber、レポーター……と、実にさまざま。持ち前の行動力で気になったものはすぐ試す。それを繰り返し、いつしか肩書きすら自分で作り出すようになりました。

一見、一貫性がないようにも思える仕事遍歴ですが、根幹にあったのは「人を喜ばせたい」というシンプルな生き方。 「黒歴史」を作り続けてきた末に花開いた、せきぐちさんのキャリアを振り返ります。

せきぐちあいみさんの履歴書


せきぐちあいみさん:1987年生まれ。神奈川県出身。VR・AR・MR・NFTアーティスト。VRアーティストとしてさまざまなアート作品を制作しながら、国内にとどまらず、海外でもVRパフォーマンスを披露する。2021年3月、NFTオークションで自身の作品が約1300万円で落札され話題に。

たくさんの人を喜ばせるためにインターネットの世界へ

──今や世界で活躍されるアーティストのせきぐちさんですが、アイドルからYouTuberへ至るまで、これまでさまざまな表現活動をされていますよね。そんなせきぐちさんが最初にご自身の「キャリア」を意識されたのはいつ頃だったのでしょうか?

キャリアへの意識は、中学生くらいの時からあまり変わっていなくて(笑)。……というよりも、キャリアを考えたことがないのかもしれない。昔から「人を喜ばせて生きていきたい」。ただそれだけしか考えていませんでした。

せきぐちあいみさんがお話ししている様子

──でも、中学生の頃から生き方を意識されていたというのは、とても早熟に思えます。

学生時代はいじめられっ子でした。でも、中学3年生で体験した演劇に衝撃を受けて。その時から、エンターテインメントの世界で何かを作り、それを人に届けて、人を喜ばせる仕事がしたいと思うようになったんです。演劇体験は自分のキャリアというか、生き方の原点という気がしますね。

実はその時点で「会社員になる」という進路の選択肢は捨てていたので、高校に行くつもりもなかったんですけど、親に「高校だけは出てくれ」と言われて進学しました。

──キャリアグラフを見ると、高校生の頃にはすでに劇団に所属されていますね。

せきぐちあいみさんのキャリアグラフ1

はい。その頃からお芝居やダンスを本格的に始めました。高校卒業後は劇団に所属しつつダンスボーカルユニットにも加入して、体当たりでいろいろな仕事に挑戦しました。人を喜ばせるためにやれることはなんでもやろう、ともがいていた時期です。

でも、いざ舞台に立つようになったら、この業界で生き残る難しさに気付かされましたね。舞台って一つ公演を打つのにすごくコストがかかるので、東京の劇場が満員になるくらいではペイできないんですよ。全国の会場を埋めるくらいじゃないと。しかも、その中で頭角を表す役者さんなんて数えるほどしかいません。

だから当時は、舞台だけで生計を立てている方々を参考にしようと思っていました。イッセー尾形さんとか、ラーメンズさんとか。

──お二方とも、舞台の世界ではかなりの大御所ですね。

そういった方々を観察するなかで、一つ分かったことがあります。最初から舞台だけで地道に口コミを広げていくのではなく、あるタイミングで集中的にテレビ出演して、全国的な知名度を得た上で、露出を舞台に絞っていく方が比較的多かったんです。私もできる限りたくさんの人に自分の表現を届けて、喜ばせたいと思っていたので、そのブランディングの方法は参考にしたいな、と。

ちょうど、「(自分の表現を)家族や友達だけにしか届けられないようでは意味がない。自分を知らない人に知ってもらうにはどうすればいいんだろう」と頭を悩ませていたので。

でも、テレビって、まだ何のスキルも実績もない私が出ようと思っても簡単には出られません。それで、テレビに代わって全国的な知名度を得られるようなメディアってなんだろう……と考えたときに、思い浮かんだのがYouTubeでした。

「気持ち悪い」と言われないと“ヤバい”

──なるほど、そんな経緯でインターネットの世界へ。せきぐちさんがYouTubeを始められたのは、2009年。当時、動画投稿サイトとしてYouTubeはまだまだ存在感が薄く、日本だとニコニコ動画のほうが盛り上がっていた印象ですが、なぜYouTubeを活動の場に選ばれたのでしょう?

最初はYouTubeだけじゃなく、ニコニコ動画はもちろん、Ustreamやスティッカムなど、当時流行っていたサービスはひと通り触ってみましたよ。私は自分で体験せずに「次にくるもの」を予測できるほど賢くないので、触ってみないと気が済まないタイプです。一通り触ってみた中で、リアクションの数やコメントの内容から、一番たくさんの人にリーチできると感じられたのがYouTubeだった。当時は顔出しする人も珍しく、動画の数自体も少なかったので、YouTubeのレコメンド枠にピックアップしてもらいやすかったのも大きかったと思います。

1本目に投稿したのは、カメラの前でただ腹筋をするという謎の動画でした(笑)。

まだ何のスキルもなかったので、表現のバリエーションが少なかったんですよね。でも、たとえそれで「つまらない」「気持ち悪い」と思われても、「この人何してるんだろう?」と調べて、舞台やアイドル活動の現場に来てくれる人が一人でもいたらいい。ネットはきっかけづくりのためのツール、という認識でしたね。

──とはいえ、当時のインターネットは匿名アカウント同士の交流が主流で、名前や顔を出して表現活動をされる方は多くなかった印象です。そんななか、自分をさらけ出して発信していくという行為に、抵抗は感じませんでしたか?

知ってもらえないとスタートラインにすら立てない、という意識でしたから、あまり感じませんでした。でも、チラっと舞台で共演した人や隣の楽屋の人に「変な動画アップしてる」と言われたことはありますよ。

ちなみに、高校が情報処理科だったこともあって高校生の頃からホームページを作ったり、ブログを更新したりしていましたが、当時は「日記を人に見せてんの!?」とよく言われました。でも数年後にそういう声は減って「むしろ(書き方を)教えてください」と言われる機会のほうが多くなって、時代の移り変わりを感じましたね。

今となっては「気持ち悪い」と言われることは全然普通というか……むしろ「言われないとヤバいかも」なんて思うようになってきています(笑)。

──「気持ち悪い」はポジティブな反応なんですね(笑)。少し話を戻して、YouTubeの反響はどうだったのでしょう?

しばらく続けた結果、いまで言うYouTuberの活動をしてみませんか、と公式から声をかけてもらえたこともあって、やりがいを感じていましたね。

せきぐちあいみさんがYouTubeへの動画投稿を始めた頃の一枚

YouTubeへの投稿を始めた頃(提供:クリーク・アンド・リバー社)

──YouTubeに手応えを感じ始めた一方で、キャリアグラフはかなり低くなっています。

せきぐちあいみさんのキャリアグラフ2

所属していたダンスボーカルユニットが解散してしまったんです。辞めたいというメンバーが出てきて……。もちろん仕方のないことですが、それまで必死に積み上げてきたものが全部なくなるということで、目の前が真っ暗になりました。解散後、もう一度ほかの子たちとヒップホップユニットを組んでみたんですが、それも解散となり、さらに当時の事務所も潰れてしまって……。

それもあって、周りの人に左右されず一人で実績を積み上げられるのはネットだけだ、ネットでの発信により力を入れていこう、と思いましたね。

行動力だけは、今日持とうと思ったらすぐに持てる

──「ソロ活動」が本格的に始まった2010年〜11年頃は、せきぐちさんにとってどんな期間だったのでしょう?

いろいろな活動はしていたものの、目立った成果が出せず、つらさを感じていた頃ですね。当時、ある大手事務所の方に言われたことが今でも忘れられなくて。

「あなたは頑張り屋だから何をやっても平均点は出せるかもしれないけど、常に70点の人よりも、0点か120点の波がある人のほうが商品になる」と。そこに所属するための条件として、「器用貧乏にいろんな活動を続けるのはやめて、1個に絞ってほかは全部やめなさい」とも言われましたね。

正直、(条件を受け入れて事務所に入るかどうか)めちゃくちゃ迷いましたよ。でも、お芝居もYouTubeも純粋に好きだから続けてきたのに、あっさり辞めていいのかな、偉い人のひと言に人生を任せてしまっていいのかなと考えたら、ちょっと違うな、と。

せきぐちあいみさんがお話ししている様子

──そうして一本独鈷を貫かれたうえで、ソロでの音楽活動や、YouTubeではカメラを恋人に見立てて一人芝居をする「ひとり妄想劇場」シリーズを開始されます。事務所に入らずたくさんの案件をこなすのは大変だったのでは?

はい。最初はバイトをかけもちしながらだったので、体力的にも本当にきつかった記憶があります。

YouTubeも下手なりに動画の企画・撮影・出演・編集もすべて自分でやっていましたし、ほかの仕事もどんどん受けていたので……。

ただ、そのおかげもあって、この頃から少しずつ企業経由で動画制作の依頼が増えたり、YouTuberとしての出演依頼がいただけたりするようになってきました。

当時、ネット発の人がテレビにキャスティングされることは珍しかったので、少しでも信頼してもらえるように、ちゃんとWebサイトも作って、私一人しかいないのに、さもスタッフがいるかのように装って返信したりしていましたね(笑)。

──この頃には、肩書きを「ロンリーデジタルパフォーマー」というものに変えられていますが、これも信頼獲得、というところに関係があるのでしょうか?

そうですね。お仕事を依頼してくださる方にとっての分かりやすさを考えた結果です。「ネットタレント」「マルチタレント」という肩書きでは何をしている人なのか伝わりにくいじゃないですか。それなら、一風変わった肩書きでも、「なんだろう?」と調べたくなるもののほうがいいかな、と。

──仕事のオファーがくるための方法を真剣に考え続けられていて尊敬します。行動力とサービス精神がすごい。

自信がないからそうしている面もあると思いますね。自分は特別な才能や特別なスキル、特別なビジュアルを持っているわけじゃない。だからこそ、臆せず行動することだけは心がけているんです。どんな才能も伸ばそうと思ったら地道な努力が必要だけど、行動力だけは今日持とうと思ったらすぐに持てるんです。

時々、「早くからYouTubeやVRに着目されていたなんて、先見の明がありますね」と言っていただけるんですが、着目してたわけではなくて、単にいろいろ手をつけてきただけ。このグラフに書いてないだけで、地味な失敗もたくさんありますよ。でも、全然うまくいかなかったことも、誰かが笑ってくれたなら、それだけで幸せじゃないですか(笑)。

「黒歴史」はずっと残しておきたい

──2016年には、キャリアグラフがぐっと上昇しています。これはやはり、VRアート(※)を始められたことが大きかったのでしょうか?

せきぐちあいみさんのキャリアグラフ3

はい。VRとの出会いは私にとって最高の出来事でした。初めて体験した時、空間に立体的な絵が描けるなんて魔法みたいだと感激したし、こんなに自分が楽しいならきっとたくさんの人にも響くだろうなと直感しました。やりようによっては仕事としても絶対にうまくいく、と確信できたので、すぐに自分でもVRゴーグルを買って、空いた時間は全部VR漬け……という生活を始めました。

※VRアート……ペイントツールなどを使い、VR(仮想空間)の中に立体の絵を描いて生み出す作品のこと。鑑賞者が作品の内部に入り込めるなど、2次元の静止画とは異なる世界観が魅力。

──当時、世間的にVRの知名度はまだまだ低かったと思うのですが、仕事にしてもうまくいくと確認できたのは、なぜだったのでしょう?

自分がかつてないほど楽しめたというのもあるし、過去に周りから散々「なにそれ?」と言われたものがどんどん普及していく過程を見てきたからでしょうね。ブログしかりYouTubeしかり。

──なるほど。結果的にはVRアートも同じように始められてからすぐに仕事につながっていった。

そうですね。これまで自分が取り組んできたいろいろなことが、VRでようやく結実したと感じています。

VRアートって、空間に絵を描いているところをただ見せるだけでは、何をしているかが伝わりづらいんです。でも、身体をダイナミックに使ってライブペイントをしたり、映像を合成したりすることで伝わりやすくなる。ここでダンスの経験やYouTubeの編集技術が生きました。

だからこそ、今の時代、一概に「器用貧乏はよくない」とは言えないように思うんです。今は情報にもアクセスしやすいし、新しいことを始めるハードルはどんどん低くなってきていますよね。だから、たとえレベルが低くても気になったことには積極的に手を出してみる。そうすると、基礎力はつくと思うし、一つひとつのことを熱心に続けるうちに、その人ならではの色みたいなものもついてくるんじゃないかな。

──気になったらすぐ試してみる、ということを繰り返してきたせきぐちさんがおっしゃると、とても説得力がありますね。

好きなことに出会うためにとにかくいろいろやってみる、というのは大事だと思います。私の場合、遠回りになったかもしれないけど、いろいろやってこなかったら、自分にとっての向き不向きも分からないままだったと思うし。

残念だけどダンスはそこまで向いていなかったと感じるんです。ダンスが好きでめきめき上達する子って、私みたいに「頑張らなくちゃ」と練習するんじゃなく、踊ること自体を楽しめるんですよね。私は本当にダンスが好きな人には敵わない。

でも、VRアートはひたすら楽しいし、「頑張らなくちゃ」と思わなくてもどんどん描ける。もしも最初からVRに出会っていたらその違いにも気づけなかったはずなので、結果的に遠回りしてよかったのかもしれません。

せきぐちあいみさんのVRアート作品

VRアートと出会った頃の作品。コンセプト策定から制作、撮影までを約1か月でこなした(提供:クリーク・アンド・リバー社)

──VRアートは、制作している最中も夢中になれることが多いですか?

そうですね。最初の頃は、何を作ってもなかなか納得できなかったんです。でも一度、制作途中のものを友達に見せたら「こんなの見たことない、SNSに載せたほうがいいよ!」と言ってもらえて。試しにそれをSNSにアップしたら、想像以上の反応が返ってきた。その時から、VRアートに関しては作ったものを全部見せていこう、と決めたんですよね。

正直、良し悪しを自分で決めてしまうのは、ただのエゴかもしれないとも思います。あと、ネットの人たちはつまらないものにもある程度寛容ですよね。例えば、現在も活動している人が昔作ったつまらない動画や未熟な作品がネット上に残っていても、それを見て悪い印象を抱く人って少ない気がする。

──たしかに。こんなに昔から活動しているんだな、と驚くくらいかもしれません。

過去に作った未熟な作品を消したがる人も多いんですが、見る人は案外「このときはこんなに下手だったのに、今はこんなに成長したんだな」と感じてくれるかもしれないですよね。

私はいろいろな活動をしてきた分、世間で言う「黒歴史」みたいな作品もたくさん生み出してきました。でも私自身は別にひとつも黒歴史だと感じていなくて。その時々で全力で向き合ったことなんだから、逆にずっと残しておこう、とさえ思っているんです。今カッコつけるよりも何年後かに良いものを作るほうが、ずっと大事じゃないですか。だから、「これは黒歴史になるかならないか」と考える前に、どんどん作品を出し続けていくべき。リアルタイムで黒歴史を生み出しながら生きていくようなデジタルネイティブの子たちにも、「黒歴史」を放置したままの私がいることで、勇気を与えられたらいいですよね(笑)。

せきぐちあいみさんがお話ししている様子

たとえ病室から出られなくなっても、世界と仕事がしたい

──2016年以降は海外でもVRライブペイントを行われたり、メタバース(※)内のイベントに出演されるようになったりと、VRアーティストとして活動の幅をどんどん広げられていますね。振り返って、特に印象的だった活動はありますか?

毎年より大きなチャレンジをしていこうと意識しているので、どの仕事も印象深いですね。海外でのライブペイントはもちろん、AR(※)で鳥取砂丘に月面都市を浮かべるとか、秋田のかまくらに龍神を出現させるというプロジェクトも忘れられません。

※メタバース……インターネット上に作られた3次元の仮想空間。VRゴーグルなどを使って入り込み、アバターを操作しながら他人と交流する。

※AR……拡張現実。現実世界の景色やモノにコンピュータで情報を加える技術。

──そんななか、2020年にはコロナ禍という世界的な出来事もありました。せきぐちさんのお仕事に何らかの影響はありましたか?

海外や地方の仕事が全部白紙になってしまいました。久しぶりにかなり落ち込みましたが、諦めていても仕方ないので、どこからでもアクセスできる美術館をメタバース上に建てるというプロジェクトを始めたりして、活動を必死に立て直そうとしていましたね。

──でも、翌2021年にはNFTアート(※)の展示会に作品を出展されるようになり、出展された作品のうち1作は、なんと1300万円で落札されてます。

1300万円で落札されたせきぐちあいみさんのNFTアート作品

落札されたNFTアート作品「Alternate dimension 幻想絢爛」(提供:クリーク・アンド・リバー社)

私自身もすごく驚きました。2021年の始め、海外ではすでに数億円のNFTアート市場ができているという話をニュースで見て、これはすぐにやらなきゃと調べ始めました。2日くらいで一気に勉強して、スピードを重視したいので今回は個人で動きたい、と事務所にも相談したら快くOKしてもらえたので、すぐにNFTアートを作って出したんです。

NFTアート……仮想通貨のブロックチェーン技術で、唯一性(改ざん不可能性)を担保されたデジタルアート。作品は仮想通貨で取引される。

──たった2日間でアウトプットするとは……。その瞬発力と行動力に、改めて驚かされます。

日本企業も水面下で動き始めているだろうと感じたので、ここは個人のスピード感で行かなくちゃ、と思って。

メタバースに関わることだと、今年から神社を巻き込んだプロジェクトも始めています。メタバースが今後無法地帯化しないためにも、神社のように「誰かを見守る存在」を活用できないかと考えていて。いまはメタバース内の神社に立っている鳥居に名前を刻める権利をNFT化して販売していて、これからもいろいろな神社とのコラボレーションを予定しています。

いまは苦しい状況にある観光業界を救う、ひとつの鍵になればいいな、と。

そもそもVRやARは可能性に満ちていると思うんです。自由に移動できないご高齢の方や障害のある方を、未知の世界へ連れていくこともできる。そういう、未来の可能性を広げるようなプロジェクトにもどんどん挑戦したいですね。

せきぐちあいみさんのキャリアグラフ4

──最後に、せきぐちさんが今後取り組んでみたい分野や、いま思い描いているキャリアのビジョンはありますか?

こういうキャリアを歩みたい、というビジョンはないです。最初にお伝えしましたが「人を喜ばせたい」というのがすべて。

だから、やっぱり先々は、いまの自分も想像できないようなことをしていたいですよね。

実は……今脳波で絵を描く実験をしていて。自分の脳波を測定しやすくするため、先日丸刈りにしてみました。

せきぐちあいみさんがウィッグを取る様子

──!!!

この先もこういう面白いプロジェクトにどんどん挑戦していきたいです。

そして、家とか病室から出られなくなったとしても、私は世界と仕事していきたい。あぁ、テレパシーとか使えるようにならないですかね(笑)。

せきぐちあいみさんの決めカット

取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代

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