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佐渡島庸平の履歴書|「お荷物の新入社員」から抜け出すために、ある編集者がやったこと

出版不況が叫ばれ始めた2000年代に『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』など大ヒットマンガを世に送り出し、現在はクリエイターエージェンシー「コルク」を経営する編集者・佐渡島庸平さんの履歴書を深掘りします。ふだんは「過去をまったく振り返らない」という佐渡島さん。ヒットの裏側にあったのは、1冊を売るため、ひとりの読者をつかむための地道で誠実な努力でした。

佐渡島庸平さんメインカット

※この記事は2020年3月に取材・撮影した内容です

『ドラゴン桜』『働きマン』『宇宙兄弟』──出版不況が叫ばれ始めた時代に、講談社でビッグヒットを飛ばし続ける話題の編集者がいた。

コルク代表・佐渡島庸平(さどしま・ようへい/ @sadycorkさんの経歴は、出版業界に憧れを持つ人や身を置く人からすると、華々しく写るものかもしれません。

しかし、ヒットの裏側にあったのは、育ててくれた環境への感謝と作家への敬意、実直なコミュニケーション、1冊を届ける努力。何も特別ではないことをひたむきに積み重ねてきた結果が、このキャリアグラフと履歴書なのです。

33歳で独立し「コルク」を創業。国内出版業界では当時ほぼ例のない、クリエイターエージェントという新しいビジネスモデルを立ち上げた背景や、優しい気づきを与えてくれたコミュニティ「コルクラボ」、そしてこれから目指す楽しい未来について。佐渡島さんが歩む「編集道」を伺いました。

佐渡島庸平さんの履歴書画像

「自分がいるだけで赤字」な状態を脱したい

佐渡島庸平さんのキャリアグラフ1

──キャリアグラフは年々上昇しています。編集者として講談社に入社したころは、何を思って日々の仕事に向き合っていましたか?

働き始めて思ったのは、会社に対して赤字を作っている状態から、できるだけ早く脱したいということです。講談社って募集要項に初任給が書かれているんですけど、裁量労働制だからそれとは別に編集手当がつくんですよ。

すごくありがたいんだけど、「こんなにもらっていいの!?」ってびっくりしちゃって。最初に井上雄彦さんの『バガボンド』を担当させてもらったときは、先輩から仕事を教えてもらう立場で、僕にしかできないことをやっているわけではありません。

ひとり立ちして三田紀房さんの『ドラゴン桜』を担当し始めて、紀伊国屋書店の売上をチェックすると、1日に1冊も売れていないときもある。せめて1冊は売りたいなと思うんですけど、1冊売っても、講談社には300円程度しか入らない。

僕は1日いくら会社からもらっているんだっけ? 出社するときの電車代っていくらだっけ? って考えると、会社にいるだけで赤字を垂れ流している存在なんですよね。新人とはいえ、この居心地が悪い“お荷物状態”から早く抜け出したいという思いが強かったです。

──お荷物状態から脱するために、どんなアクションを起こしたのでしょうか?

当時の僕の仕事って、すごくシンプルだったんです。とにかく本を売ること。なので、1日0冊の売上が、どうやったら2冊、3冊……と増えるかひたすら考えていました。書店に作者の色紙を持って行って、目立つ棚に置いてもらえば、1日1冊は売れるかもしれない。それを10店舗やったら、50店舗やったら、今度はメディアに取り上げてもらったら……。

そんなことを続けるうちに発行巻数も増えていくので、20巻分やると200冊の売上になるし、その状態が1ヶ月続くと6000冊になる。そういうことを、ただただ地道にやっていくだけです。1000万円の売上も、1円の積み重ねなので。

──そうしてコツコツやり続けることで成果が出たのですね。立て続けにヒット作を手がけていますが、キャリアグラフにおいて、講談社時代は「2」のままです。これはなぜでしょうか?

佐渡島庸平さん正面写真

まず、過去をどう捉えるかということにもよりますよね。こういう人生のキャリアグラフを書くときって、みなさん、いまを基準に書かれるんですよね。だとしたら、僕は「いまが常に一番幸せ」っていう生き方をしようと思っているんですよ。過去のほうが幸せだったなと思って生きる人もいるかもしれないけど、過去の幸せって何だろう?

たとえば『ドラゴン桜』を立ち上げると幸せなのか? 『宇宙兄弟』が売れると幸せなのか? と考えたときに、それは全部、僕にとっては日常だったんですよね。作品を立ち上げるのも売るのも仕事の一環でしたから。何ひとつ特別なことではなくて、淡々とやっているだけ。そしてこれは仕事としてのキャリアグラフだから、ただ積み重なっていっただけ、と考えています。

人生いいことばかりじゃないから成長できる

佐渡島庸平さんキャリグラフ2

──なるほど。そう考えると、嬉しいことも思い通りにいかないことも、単に経験を積み重ねたということで、グラフは上下しませんね。

そうですね、いいことも悪いことも等しく積み重なっていくイメージです。悪いことのおかげでいまがあるというか、いいことばかりだと、慢心したり成長が止まったりするんです。成長していない、現状維持、という状態は、僕からすると「グラフが下がっている」という価値観です。区切りがついたからといって、何かを成し遂げたわけではないので。

──たしかに、物事が順調に進むと、満足した状態になってハングリーな気持ちが薄れてしまうこともあります。そういうとき、佐渡島さんは自分に対して警鐘を鳴らすこともあるのでしょうか?

昔はけっこう、自己否定をしていくなかで成長していったんです。自分を崖の上に立たせて、「押すぞ! 押すぞ!」って追い詰めながら伸ばす感じです。でも自分で会社を経営するようになってから、それは不健全な成長の仕方だなと思うようになりました。

自己否定を基準にすると、他人に対しても「ここがダメだから頑張れよ」っていう接し方がデフォルトになっちゃうんですよね。僕が僕に課している態度をメンバーに応用するのは、居心地を悪くしてしまうことだと学んで。だから最近は、自己否定はあまりよくないなと思っていますね。「どうすれば自分がより楽しめるか」を基準に考えています。

佐渡島庸平さんプロフィールカット

佐渡島庸平さん:1979年生まれ。2002年講談社入社。週刊モーニング編集部にて、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)などの編集を担当する。2012年講談社退社後、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業し、代表取締役会長CEOに。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集や著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントのモデル構築を目指す。

立場は違っても「仕事とは誰かの役に立つこと」は変わらない

佐渡島庸平さんキャリグラフ3

──33歳のころ講談社を退社し、クリエイターエージェンシー「コルク」を立ち上げました。コルクには「生み出した作品を世界に運び、後世の人も読めるよう残すために(ワインにとってのコルクのような存在に)」という想いを込めたそうですね。

何かビジョンがあったわけではなくて、自分の力で社会に出て挑戦してみよう、社会を知りたいっていう気持ちが一番強かったのが始まりですね。そもそも僕がなぜヒット作を出し続けられたかというと、講談社のおかげです。講談社の仕組みや先輩たちの教えがあったし、作家たちも先人の築いたもので集まってくれていたので、そういった“資産”を使ってヒット作を出すことができた。

──会社から学んだものが、大きかったんですね。

学生時代、自分がヒット作を出せるかどうか、わからなかったんです。もちろん出せたらいいなとは思っていたけど、やり方がわからなかった。そう考えると、社会人になって僕がしてきた仕事は全部、会社で学びながらやったことだといえます。結果、うまくいった。

だから、ヒット作を出したときと同じように、僕がやってみたいと思うエージェント業を世の中に普遍化させたり、僕がいいと思うデジタルマンガの仕組みを世の中に広めたりするのも、学びながらやればできるだろうなって思ったんです。

──独立にあたり、不安はありませんでしたか?

未来がどうなるかわからないっていう不安はあるんですけど、じゃあ講談社にいたらわかるのかというと、そうではないですよね。組織にいるときに不安を感じていないのって、未来を考える役目を他人に丸投げしているからだと思います。その状態を不健全だと感じたのも、独立を決めた理由のひとつでした。

そのころは入社から10年経って、ヒット作も出て僕を育ててくれた会社にある種の恩返しができた状態でした。この先、会社にいて慢心してしまうよりも、自分の力を試してみようと思うようにもなっていましたね。

──編集者から経営者になり、どんな気づきがありましたか?

仕事とは誰かの役に立つこと──どんな立場であれ、これは普遍的なことだなと気づきました。役に立ったらそれをきっかけにコミュニケーションが生まれて、そのコミュニケーションは「ありがとう」という言葉の場合もあれば、お金の場合もある。すごくシンプルなことに尽きると思うんです。

それが継続的にうまくいくための仕組みというのは、人に信用されて、信頼されることが重要です。そのために、言葉ではなく行動を積み重ねていくこと。それは学生時代も、講談社にいたときも、経営者になったいまも変わりません。

──日常のコミュニケーションのなかで、佐渡島さんが気をつけていることがありましたら教えてください。

社員が20名を超えたころのコルク社

社員が20名を超え、定期的に合宿をしていたころ(2018年夏)

何をしたいのか、自分の考えをしっかり伝えることですかね。人ってどうしても何かを求める気持ちが強くなりがちですが、僕にとってコミュニケーションの基本は「ギブ&テイク」ではなくて「ギブ・ギブ・ギブ・ギブ&テイク」。

自分本位から始まらずに、相手に何かを差し出したり、受け入れたり、まずは相手本位から始めるのが基本だと思います。それが安心に繋がって、いいコミュニケーションが生まれるんじゃないかな。

──コルクのメンバーは、みなさん自分の名前で仕事をしていて、個が輝いている印象です。会社として、社員にどのような働き方を求めているのでしょうか?

コルク社内での佐渡島さん

社内だけでなく、レビューサイト「マンガ新聞」の会合でPV数についてつっこまれている様子

コルクは副業もOKですし、2016年には「作家と社員全員のフォロワー数を増やす」ことを会社の目標にしました。メルマガなども「小山宙哉の担当の◯◯です」と自分の名前で送っています。私はこういうことをやりました、という実績ができているので、みんないつでも自由に転職できるんです。

近々転職するメンバーから、「あのメルマガを書いていたのなら、ぜひ来てください!」と面接がほぼスルーだった話を聞いたのですが、それは僕にとって嬉しいことです。みんな個が立った自由な働き方をしていて、その上で「このメンバーで最強のチームを作りたい」と思い続けてくれたほうがいいし、僕ら経営陣は才能のある人間がい続けたいと思うような環境を提供できるようにしたいですね。

採用に関しては、コルクでできる仕事の魅力はあるんですけど、仕事の魅力に吸い寄せられてくる人だと、その仕事を越えられないと思います。「コルクにいる人たちと一緒に働きたい」という人たちが集まって、個が個を呼ぶような関係が理想です。

コミュニティが「結果を出すから居場所がある」を覆してくれた

佐渡島庸平さんのキャリアグラフ4

──38歳のころコミュニティを運営するために必要な知識、技術を学べるコミュニティ「コルクラボ」を立ち上げています。当時はまだコミュニティビジネスが少ない時期だったと思います。

堀江貴文さんからHIU(堀江貴文イノベーション大学校)の教授をしてほしいと頼まれて、コミュニティの面白さに気づいたのがきっかけで始めました。実際自分でやってみて、学びがたくさんありましたね。当時の僕は、仕事をして結果を出すことで、社会のなかに自分の居場所を確保できるという考えだったんです。

だから、講談社に入社したばかりのころ、「いるだけで赤字を出す人間ではいたくない」って頑張って。結果があるから居場所がある、結果を出し続けて堂々と座れる席を買う、そんな感じで。

──その考えに、変化があったんですか?

はい。コルクラボのなかでは、僕もコルクラボの人たちも、成長を求めることはないし、お互いの結果に関係なく人間関係が生まれているんですよ。学校は高い授業料を払って“お客さん”として通うものだから、学校側は生徒の居場所を作ろうとするけど、そこにいるメンバー同士でお互いの居場所を作ろうとはしません。

一方でコルクラボは、集まった人間同士でお互いに居場所を作ろうとするので、協力して維持されている場所なんです。結果を出して特等席を買うことをしていた僕からすると、社会に対する考え方や、対人コミュニケーション、そこで感じる居心地のよさが新鮮でしたね。

──それは大きな気づきですね……!

佐渡島庸平さん下向きの表情

僕、人はそれぞれ、自分の頭のなかで自分と会話していて、その会話の仕方が他人との会話に強く影響していると思うんです。僕は自分との会話の仕方がある意味雑だったから、自分を追い詰めて、きつい言葉で喋っていたんだろうなって。対自分とのコミュニケーションが改まっていったのは、コルクラボのおかげだったのかなと思います。

──コルクラボの運営を始められて3年経ちますが、いかがでしょう?

コルクラボでは、僕、頑張らないようにしているんですよ。皆がこの場がよくなるようにっていう気持ちを持ち寄って、誰にとっても居心地がいい場所であるっていうのが重要なんです。

僕だけが管理すると、みんなに「もっとこう振る舞ってよ」という押しつけが生まれますし、僕だけが頑張ると、みんなにとってコルクラボが非日常のドレスアップをしていかなくてはいけない場所になり、緊張が生じますよね。

理想的は状態を例えるなら「ちょっと散らかっている家」です(笑)。お邪魔しても「気をつかわせてごめんね」とはならずに、「今日も楽しかったね、ありがとう」って言えるような場所。メンバーが「佐渡島さんはいい加減だな」って思ってくれるくらいがちょうどいいんだと思います。

──コルクラボのみなさんは、佐渡島さんを“サディ”と呼ぶほど距離が近いそうですね。

そうです、みんな“サディ”って呼んでくれます(笑)。その緩さがありつつも、年間の合宿や定例会といったスケジュールは、最優先で確保しています。でも、それ以外、僕はコミットしない。

『居るのはつらいよ』という本を出された、精神科医の東畑開人さんのお話でなるほどと思ったのは、「ずーっといると、居場所にならない」ということです。ずーっといると、そこも苦しい場所になる。人は複数の居場所を持っていて、それらを転々としているからそれぞれの場所を快適だと感じるんです。

新人マンガ家とヒット作を出して、新しい売り方を目指す

──2019年、キャリアグラフは最高潮に達しています。プロのマンガ家を育成する「コルクラボ専科マンガコース(コルクラボマンガ専科)」と、既存の流通システムに限定しないインディペンデント・レーベル「コルクインディーズ」を立ち上げた年です。

佐渡島庸平さんの横顔

マンガコースから出てきたマンガ家や、僕がTwitterで見つけた新人マンガ家と一緒にヒット作を生み出し、新しいファンコミュニティが存在する売り方を実践していきたい。これに尽きますね。いまは新人マンガ家の育成に関しては、僕がどう教えているか、マンガ家さんたち自身がInstagramでライブ配信しています。見たいと望めば誰でもぜんぶ見られる状態です。

手の内をオープンにしているのは、僕がマンガ家と話し合っている様子を見て「へえ、マンガってこんなふうに作ってるんだ。この人のマンガ読んでみたい!」と思う人がひとりでも増えればという想いからです。そういう一人ひとりの積み重ねが、最終的に大きなファン集団になっていきますし、特に新人のときのファンはとても重要な存在なので。

──新人マンガ家さんに対して「この方と一緒にやっていきたい」と思うきっかけは、どんなところにあるのでしょう?

たとえ無名でも、いま世の中ですごいと言われている人たちよりも、僕の心を動かす度合いが大きいかどうかですね。まだ新人だったころの小山宙哉さん(『宇宙兄弟』の作者)とのエピソードですが、小山さんからFAXで原稿が送られてきたとき、僕は外に飲みに行っていて。

小山宙哉先生と佐渡島庸平さん

『宇宙兄弟』で講談社漫画賞を受賞し、小山宙哉先生(右)とふたりで初めて一緒にスーツを着た珍しい2ショット。

原稿を送ったと連絡が入ったので「明日の朝読みます」って返したら、今日読んでほしいって言うんです。僕も小山さんのストーリーを読みたくてやっているので、会社に戻った。そして読んだら、目から涙がポロッと落ちたんです。

いろんな作品を読んできて感動する瞬間はあったけれども、やっぱりウルウルする程度で、涙がポロッと落ちたことはほとんどなかった。新人の原稿で涙がこぼれ落ちるのは、これはもう、将来世界中のいろいろな人が涙を流す作品になるだろうなと確信したんですよね。

──たしかに、じんわり涙がにじむマンガは思い当たりますが、涙がポロッとこぼれる作品は貴重です。

多くの人が泣いたり悲しんだりするのは、悲しいシーンなんです。それはある種、泣きスイッチを押されて生理的反応で出る涙。でも小山さんの物語の多くは、泣くシーン=嬉しいシーンなんです。「よかったね」っていう場面や、相手を思う気持ちの優しさ、そういったところに感動することが多い。こんなシーンを描けるマンガ家は少ないと思います。

──ここまで、会社やプロジェクトのビジョンは伺いましたが、佐渡島さん個人としては、今後どのような状態を目指していますか?

僕はとにかくいまを楽しみたいです。過去のことを気にせず、周りに信頼され、周りが応援してくれる人になりたいなと思います。何か価値があると思っていることや、成し遂げたと思っているものって、しょせん自分たちがそう思っているだけで、儚いものですからね。

100万部売れるのも、200万部売れるのも、金銭的には大きな違いがありますが、自分の記憶のなかでは大差ないんです。経営するうえで、数字を追うことは必要ですが、僕個人の生き方としては、そういう数字は追わずに、心が楽しいほうに、楽しいほうに進んでいくことを望んでいます。

──いまは何をしているときが一番楽しいですか?

コルクインディーズ立ち上げ後の佐渡島庸平さん

コルクインディーズ立ち上げ後、新人育成に力を入れる日々

新人マンガ家と打ち合わせをしているときですね。だからもっとオフィスがリッチになって、カフェスペースを用意できたら、僕はずーっとカフェにいて、来る人来る人と、ただお喋りをする役になりたいくらいです。カフェの番人みたいな(笑)。

朝から晩までずっと雑談していたいだけ、と思われるかもしれませんが、自分の仕事はそこに尽きるのかなって。雑談のようなコミュニケーションの先に生み出されるものを、世の中に広めていければと思います。

──キャリアグラフにおいては最高を更新し続けている佐渡島さん。いま転機に直面している方や決断に迷っている方へ、メッセージをお願いします。

迷っているんだったら、まずはやってみればいいじゃないと僕は思います。迷っている状態って、迷いのある自分に酔って、何かやっているような気になりがちです。でも実は何もやっていない。やってみて、うまくいかなかったら工夫すればいい。

迷い続けるより、自分の決断を正しくする行為を積み重ねるほうが、人生は楽しいんじゃないかなと思います。迷っている時間を考えている時間と勘違いしがちですが、それは違っていて。やってみて、その選択を正しく軌道に乗せるための行為こそが、考えるということだと思います。

【変更履歴】記事タイトルを変更しました。(2020年6月8日11時15分)

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取材・文:藤田華子
撮影:タカハシアキラ
編集:池田園子(プレスラボ)