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よなよなエールを育てた「非常識」な男。倒産寸前でも"初"に賭ける|井手直行の履歴書

「よなよなエール」など個性的なクラフトビールを醸造するヤッホーブルーイングの代表取締役社長、井手直行さんの履歴書を深掘りします。「どん底」を見た男の、波乱万丈のキャリアに迫りました。

井手直行の履歴書メインカット

「インドの青鬼」「水曜日のネコ」「僕ビール、君ビール。」──。近年人気のクラフトビールのなかでもひときわ目を惹くネーミングと、個性豊かな味わい。「よなよなエール」をはじめとするビールを醸造するヤッホーブルーイング( @yohobrewing )は「日本のビール市場の1%を獲る。そのためには100人のうちひとりだけでも熱狂的なファンになってくれればいい」と、大胆かつユニークな経営哲学で注目されています。

そのヤッホーブルーイングを率いるのが「てんちょ」こと、井手直行さん。創業間もないヤッホーブルーイングに中途入社し、2008年に同社代表取締役社長に就任しました。

そんな井手さんは、入社する前の自分自身を「常識のないヤツだった。僕だったら採用しない」と、笑って振り返ります。果たして、井手さんはどんなキャリアを歩んできたのか。「どん底」とも言える会社の危機をどう乗り切ったのか。その時々の意思決定を、キャリアグラフをもとに振り返ってもらいました。

井手直行の履歴書

「旅したり、パチンコしたりしてました(笑)」

井手直行のキャリアグラフ1

──井手さんのキャリアグラフですが……ヤッホーブルーイングに入社される前は空欄なんですね。

そうですねえ……あまり深く考えていなかったというか、行き当たりばったりだったんですよ。

井手直行プロフィールカット

井手直行さん:1967年福岡県生まれ。国立久留米高専電気工学科卒業。大手電気機器メーカー、環境アセスメント事業会社、軽井沢の広告代理店での勤務を経て、1997年、株式会社ヤッホーブルーイング創業時に営業担当として入社。2008年より同社代表取締役社長。著書に『ぷしゅ よなよなエールがお世話になります』(東洋経済新報社)。

機械も音楽も好きだから、「お、世界シェアトップクラス。いいねぇ!」なんて、オーディオ機器のメーカーに入って、配属されたのはパソコン周辺機器の部署。それはそれで花形部門だから、いいか!とエンジニアとして5年勤めました。それからもっと社会に貢献できるような仕事をしたいと考えて、環境アセスメントの会社に転職したんです。でも、入社してみるとまったく話が違ったというか、世の中うまくいかないもんだなぁ、と現実に直面して……半年でその会社を辞めました。

井手直行さん最初の会社

オーディオ機器メーカーに勤めていた頃の井手さん

それからどうしたものか、と考えたんだけど、自然のあるところへ行きたいな、テントさえあれば金もかからずに寝るところはあるし、と思って、東北から北海道をバイクでツーリングしたんです。旅をすれば、何かが見つかる気がしたんですよ……結局、見つからなかったんだけど(笑)。

──自問自答をしながら旅をしていたんですね。

そんな前向きなものでもないですよ。「俺、どうしよう? 何がしたいんだろう?」みたいな。でも答えは出ないし、お金がなくなったらパチンコで稼いだりして。それでなんとか金をやりくりして、見ず知らずの人にたくさんお世話になって……数か月経ったかな。結局、「自然が好き」「人が好き」というのはハッキリしたんです。

バイク旅ショット

バイク旅の道中で

そういや小さい頃から、自然が好きでした。家の近くの池で釣りをしたり、高専でバイクの免許を取って、わけもなく筑後川沿いを隣の県まで運転したり……。

旅のあいだに人の優しさに触れて、人と人とのつながりっていいなぁと思えた。それで、「自然の豊かな場所で働こう」と決めたんです。どこに住もうか考えたとき、地元だと暑いしなぁ、と思って……「そうだ、北海道か信州にしよう!」と、パッと思いついた。

──では、軽井沢の会社に勤めるようになったのは、たまたまだったんですね。

そう、もっとボンヤリとしたイメージだったんです。「信州」という響きが、「山! 大自然!」みたいな感じで、良いなぁと思って(笑)。求人でも、炭焼き職人とかレタス農家とか、林業とか……それがどんなに大変かもまったくわからないままなんとなく探していて、たまたま見つけたのが、軽井沢にある広告代理店でした。

──そこでの仕事はいかがでしたか。

楽しかったですよ。営業で山奥のペンションまで3、40分くらいかけてドライブして、昼飯も適当にコンビニで買って、湖のほとりに車を停めて、清々しい空気の中で飯を食って……「いやぁ、良い仕事だな~」みたいな(笑)。お客さんにも喜んでもらえるし、まぁ、怒られることもありましたけど、かわいがってもらった。

井手直行記事内カット1

──仕事には満足していたのに、なぜまた辞めたのですか。

これまた、全然前向きな理由じゃないんです。勤めていた広告代理店は、ご夫婦が経営されていたんですけど、社長を務めるご主人が海外出張の間に、僕が奥さんとケンカしちゃったんです。奥さんはせっかちで、パパパッと言いたいことを言うような性格で……僕もそうだから、言い合いになっちゃったんですよね。「あんたなんてクビだから!」と言われて、「あぁ、こんな会社辞めてやらぁ!」とヒートアップして。

最終日に「お世話になりました」と社長に挨拶したら、「え、聞いてない! ちょっと井手くん、待ちなさい!」と、必死に引き留められて、なんだかんだで1か月後に復職するんだけど、長く勤める会社ではないな、と。結局、その1年後にちゃんと業務を後任に引き継ぎ、辞めることになりました。

とはいえ、先のことは何も考えていなかったんです。やっぱり炭焼き職人かなぁ、それか、青年海外協力隊に行くか……あ、山小屋もいいなぁ、なんて(笑)。フラフラしながら、またパチンコしたり、釣りしたりしていたら、僕が会社を辞めたのを聞いた星野(佳路 株式会社星野リゾート 代表)に声をかけられたんです。星野リゾートは広告代理店時代の営業先だったので、星野とも面識はありました。

はじめは、営業時代にお世話になった方から伝言で「星野さんが会いたがってるんだけど、どう?」とか、「ウチに来ないかって言っているよ」とか言われてたんですけど、「いや、しばらく考えたいので」とお断りしていて。でもある日、家の電話に留守電が残ってたんです。星野から直々に「一回、お話ししたいんだけど」と。いやぁ、そこまで言われたら、さすがに興味がなくても話だけは聞いておかなきゃなぁって、出向くことにしました。

すると、ビール事業を立ち上げようとしていて、ぜひ一緒にやらないか、と。星野もさすが、人を乗せるのが上手なんですね。一通り話した後、僕をここに連れてきて、まだ基礎から鉄骨が出ているような工事現場だったんですけど、直感的に面白そう!と思って。「やっぱり、興味あります!」なんて、イチコロでした(笑)。

井手直行記事内カット2

──まさにこの場所から、すべてがはじまったんですね。

でも、入社するにあたって、やはりきちんと選考しましょうということで、人事の方を交えて面接をしたんです。履歴書を見ながら、「この空白期間は何をされていたのですか?」「あ、旅したり、パチンコしたりしてました(笑)」「なぜこの会社を辞めたのですか?」「いやぁ、経営者とソリが合わなくて……」なんて受け答えしていたら、どんどん人事の方の顔が引きつってきて。

井手直行記事内カット3

──でしょうね……。

人事の方がおっしゃるんですよ。「井手さん、こんな経歴でうちに来られても、辞める可能性が高いと思うのですが……」と。僕も「そうかもしれませんねぇ〜!」と話したところで、星野が「まぁまぁ、井手さんもせっかく来てくれたんだから」となだめてくれた。いま、僕もヤッホーで採用面接をしますけど、たぶんこんなヤツが来ても採らないでしょうね(笑)。

井手直行さん広告代理店時代の一枚

広告代理店時代の井手さん

──逆に言えば、星野さんはそれだけ井手さんに期待していた、ということですよね。

どうして採ってくれたんだろうと思ってましたけど、数年後、ヤッホーが注目されるようになって、星野が2、3回、僕についての取材を受けてくれたことがあるんです。記事になったのを読んでみたら、彼は当時、オーナー企業を継いで数年経ち、会社を改革しようとしていたけど、先代の頃から勤めている社員の中には、上からの指示に応えるだけのイエスマンも多く、やはり忖度が働く。そんなとき、僕のようにイヤなことはイヤと言うし、星野に対して率直に物申すヤツは、新鮮だったようです。明らかな異分子を入れることが、会社にもプラスになるんじゃないか、と。そんなこと、面と向かって言われたこともありませんでした。直接言ってくれればいいのに(笑)。

人差し指でしかキーボードを叩けないけど、やるしかない

キャリアグラフ1

──ここからやっとキャリアグラフが登場します。入社当初は順調な滑り出しですね。

いわゆる「地ビールブーム」で、ビールを造ったそばからすぐに注文が殺到して、その対応に追われる日々。生産量よりも受注量が上回っていて、あまり営業に出向かなくてもバンバン売れました。

井手直行さんヤッホー営業時代の一枚

入社間もない頃、営業先の小売店で

けれども2、3年すると、業界全体として売上が下がっていきます。つまり、ブームが終わってしまった。あんなに注文してくれていた取引先も相手にしてくれなくなって、つらい時代に突入します。

──一気にマイナスのどん底……それほど売上の落ち込みは大きかったのですか。

キャリアグラフ2

売上の落ち込みもそうですけど、当時を振り返ると、僕自身もひどかったんです。苦労せずに売れたもんだから、勘違いしてしまった。大手の問屋さんがわざわざここまで来られて、「なんとか売ってくれませんか」と頭を下げるのに対し、「いやぁ、他社さんの条件のほうがいいんですよ。おたくに売るなんて……」と、若造が年配の方に、横柄な態度を取ってしまった。それが、一気にブームが冷え込むと、立場は大逆転ですよ。僕が営業に行っても、「もう、おまえのところのはいらねぇよ」「いまだから言うけど、あのときの井手さんの態度、忘れてないからね」と、冷ややかな対応。ビールがどうこうと言うより、僕に対する風当たりもキツかったんです。

──うわぁ……それは血の気が引きますね……。

自分がすごいように錯覚していたけど、たまたま地ビールにニーズがあっただけであって、ブームが落ち着いた途端、自分の力のなさが如実に表れた。どう対応すればいいかわからず、門前払いを食らいつづけて……いかに自分がうぬぼれていたかを痛感させられました。

──それからどうやって状況を打開したのですか。

結局、僕が営業をやっている以上、何も良いことがない。当時、星野リゾートは急成長の真っ只中で、星野はヤッホーの社長も兼務していましたが、ほとんど会社に来ることもなかった。売上が下がりつづけて、倒産寸前にまで追い込まれて……成す術を失って、星野に泣きつきました。

井手直行記事内カット4

「社員はどんどん辞めていくし、僕や社長にまで陰口を言っている。この会社、どうしたらいいんでしょう?」と。すると、星野がこう言うんです。

「とことんやってみようよ、まだやれることがあるんじゃない? それでダメだったら、会社を畳んで、湯川で釣りでもして余生を暮らそうじゃないか」と。

僕がヤッホーに入社したとき、決め手になったのは星野の存在でした。当時まだ30代の若手経営者でしたが、経営者として本当に素晴らしい視点を持っていて、これから彼がどんなことをやろうとしているのか、興味があった。そんな星野がまだ、諦めていない。「まだやれることがある」「とことんやってみよう」と言ってくれている……。

本業を成長させて、全国区、いやグローバルに広げようとしている星野に「余生を暮らそう」なんて言わせちゃいけない。星野だって、別に釣りが好きでもなんでもないんですよ。それでも、僕が釣りを好きなことを知っていて、そんな言葉をかけてくれた。そこでハッとしたんです。この人に、これからの人生を賭けてみよう。本気でこのビジネスを成功させようと、覚悟が決まったんです。

──そこから活路を見いだしたのが、ネット通販だったんですね。

いやぁ、そんなキレイゴトでもなくて、本当に最後に残ったのがインターネットだったというだけです。当時、ネットを担当していた社員がふたりとも立て続けに辞め、1年くらい開店休業状態だった。

一方の僕は営業として、気合いと根性だけでやれることは全部やり尽くしたけどいっこうにうまくいかなかった。パソコンもほとんど触ったことがないし、絶対にやりたくなかったんです。でも、もうそれしか手段が残っていない。これがダメだったら、本当にダメだと思って、リーダーを務めていた営業部を抜け、背水の陣を敷いて、ネット通販に専念することにしました。

──ほとんどパソコンに触れたことのない状況で、どこから手をつけたのですか。

(当時出店していた)楽天市場の担当の方から、「楽天大学」という店舗向けの講座を教えてもらって、そこに参加したんです。六本木ヒルズの楽天本社(当時)に週2、3回通って、十数コマのカリキュラムを受講しました。当時37歳。ネットショッピングもしたことがないし、人差し指でしかキーボードを叩けないし……本当に恥ずかしい思いをしました。受講者も若い人が多く、「こいつ、何もわかってねーな」と思われたでしょうね。面倒に思われたのか、ほとんど誰からも声をかけられなかった。落第生よりもひどい状況でした。

──それでも、ネット通販に力を入れはじめてわずか1年で黒字転換って、すごいですね。

ネット通販の売上がそれまでゼロに等しかったので、すぐに効果が出ました。メンテナンスやデザインのことが何も分からない状況で、どうしようかと考えていたところ、講師の方に教えてもらったんです。「まずは商品説明からやってみるといいよ」と。それで、ちょうどバーレイワインの新製品……いまの「ハレの日仙人」の前身となる商品ができたところだったので、その紹介文を書くことにしたんです。

パソコンで文章を書きはじめたら、どんどん長くなって……編集も改行もできないから、結果的に1メートルくらいの長さになってしまいました(笑)。メルマガにも同じものを送ったから、いやぁ、どうなるかな、と思っていたら、なんと1、2日で数百本が完売したんです。1本750mlで3000円もする商品ですよ。そんなに簡単に売れるはずはない。でも、読んだお客様が「面白そう」「飲んでみたい」と、一気に買ってくださった。それが大きな成功体験でしたね。

500人の前で号泣した、あの日

──そこから楽天市場で初のショップ・オブ・ザ・イヤー受賞、そしてついに代表取締役社長へ就任と、キャリアグラフはトントン拍子に上がっていきます。

キャリアグラフ3

ネット戦略がうまくいき、営業部門を責任者として見るようになって、現場を切り盛りしている感覚はありました。なので、星野から社長のバトンを受け取ったのも自然な流れでした。

井手直行さん楽天・三木谷社長と一枚

「楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー2008」授賞式の会場で、楽天の三木谷浩史社長と一枚(井手さんは右端)

ただ、もし僕が社長に就任して何か起こったら……お客様に多大なご迷惑をかけるようなことがあれば、単に社長から降格して平社員になる、では済まないんだろうな、と。せっかくインターネットを通じてたくさんのお客様に喜んでもらえるようになって、会社の可能性が広がってきて、仕事が楽しいと思えるようになってきた。社長になって夢が広がるというよりは、会社をクビにならないようにしなきゃな、と身が引き締まるような思いでした。

──社長に就任して、翌年から取り組んだのが「チームビルディング」。これはどういった経緯ではじめたのですか。

これは社長になる前から持っていた課題意識だったのですが、チームづくりをしなきゃ、どうにもならないな、と思っていたんです。ネット通販が当たって、会社の売上もぐわーっと伸びていたけど、忙しいのは僕と、もう一人のネット担当のふたりだけ。というのも、当時、社員にとってはネットってよくわからないものだったんですよね。営業の人間は暑いさなか、取引先に出かけて、製造部門もせっせとビールを造って……そんななか、僕らふたりは、クーラーの効いた部屋でパソコンに向かって、キーボードを叩いて、面白いページを作ってキャッキャ笑ってる──。「こっちは必死でやってるのに、あいつらなんで遊んでるんだよ」みたいな雰囲気だったんです。

井手直行さん記事内カット5

──あぁ……。

2007年に(楽天市場の)ショップ・オブ・ザ・イヤーを獲って、喜んでいるのもふたりだけ。他のみんなに言っても、「あ、そうですか……」って、何の反応もない。それどころか、売上が上がって、「在庫が足りないからって、急にビール造らなくちゃならなくなった」「通販のせいで残業が増えた」「休日出勤する羽目になった」と……どんどん不満が溜まって、会社の雰囲気としては最悪の状況でした。だから、なんとかこの雰囲気を変えたい、と思ったのです。

──チームビルディングはどのように進めていったのですか。

社長になった翌年に楽天大学のチームビルディング講座を受けました。そこでは、自分の弱みをさらけ出したり、ゲーム形式のアクティビティを行い、チーム全員でゴールを目指す難しさや楽しさを実感したり、その中で一人ひとりの意見を出し合い、合意形成していくプロセスを体験していきました。3か月間、みっちり体験して、予想以上に大変だったけど、確信したんです。「いま、僕らに足りないのはこれだ。チーム一丸となれば、こんな力が出せるんだ」と。

その熱量のまま、会社に戻ってきて、参加者を募って同じことをやりはじめたのですが……突然の方向転換で、みんな戸惑ってしまいました。当時、約20名の社員のうち、7人の参加者と僕の計8人が、業務時間中にチームビルディング研修をはじめるわけです。遊んでいるように見えるんですよ、会社の半分近くの人たちが。そりゃ、他の人は怒りますよね(笑)。「そんなことやってるから、私たちの残業が増えるんです」「忙しいんだから、もういい加減にしてください!」と、もう大反発。自分で良かれと思ってやっているのに、なかなか理解されなくて、気が滅入ってしまいました。

キャリアグラフ4

──どうやって理解者を増やしていったのですか。

まずは研修に参加してくれた第1期生を軸にベースを作っていこう、一人ずつ仲間を増やしていくしかない、と。もともとせっかちな性分なので、「うるせぇ! やればいいんだ、やれば!」と言いたくなるんですけど、チーム作りはそれじゃうまくいかない。当時は「急がば回れ、急がば回れ」と、ずーっと呪文のように唱えていました。

そうやって第2期、第3期と新たに採用した社員を中心にチームビルディング研修を続けて、同じ志を持った仲間が増えてくると、彼らの所属するチームがこれまで考えられなかったような成果を出したり、チームだからこそできるようなことを成し遂げられたりするようになった。すると、周りの人たちも「ひょっとして、これは意味のある方法なのかもしれない」と思いはじめるんですね(笑)。

売上高を見てもらうとわかるように、2009年からチームビルディングをはじめて、3年くらいは売上が伸び悩んでいたんです。でもそれが浸透して、2013年以降は取扱店舗も増えて、チーム力を発揮するようになった。製造業としては考えられないほど急成長を遂げることができたんです。

売上推移グラフ

──チーム一丸となれた、と思えた瞬間は?

「よなよなエールの超宴」というファンイベントを2015年にはじめて開催したのですが、そのときは感慨深いものがありましたね。新卒社員を中心に数名ほどのプロジェクトチームを編成して、2年ほどかけて準備して、当日は社員総出でファンの方々をもてなした。結果的に500名ほどのお客様が集まったんですよ。いやぁ、こんなイベントを主催したうちの社員はすごいな、と思ったら、閉会式で泣けてきてしまって……号泣ですよ(笑)。するとファンの方々が「てんちょ、がんばれ!」「俺たちがついてるぞ!」って応援してくれて……余計泣いちゃうよね(笑)。

2015年に行われた「よなよなエールの超宴」の様子

2015年に行われた「よなよなエールの超宴 in 新緑の北軽井沢」の様子

──想像するだけでジーンときちゃいます。

なんか、ヤッホーブルーイングという一つのチームを作ってきたつもりが、社員とお客様という垣根を越えて、「よなよなエール」を中心に、ビールをつくっている人と、それを好きで飲んでいる人とが、一緒のチームになっている。

ほら、お酒のイベントってどうしても泥酔する人が出てきたり、争いごとが起きたりするじゃないですか。でも、うちのイベントではまったくそういうことが起きないんですよ。去年なんて、5000人も集まったのに、みんなすごく穏やかで、スマートに楽しんでいて、ちょっと飲み過ぎちゃった人がいたら、みんなでフォローし合っている。トイレの行列に並んでいる人に「あっちのほうが空いているみたいですよ」って誘導してくれたりして。ファンの方にも僕らのアットホームな社風が伝わっているんです。

ノーベル平和賞さえ、“通過点”

──そしてキャリアグラフは初の著書発売で頂点の+4に達しますが……いま、会社としては14年連続増収増益にもかかわらず、少し下がっています。これはなぜでしょう?

キャリアグラフ5

本を出版したときには、ちょっと天狗になっていたというか、昔の悪いクセがまた少し顔を出していたのかもしれません。その後、講演会やカンファレンスで、もっとすごい大物の方とご一緒する機会も増えてきて、お話ししていると、いかに自分がちっぽけな存在なのかを知るというか、これくらいで満足しちゃいけないな、と考えさせられるんです。まさに井の中の蛙、大海を知る、という感じですね。だから、キャリアグラフ的には少し下がっているけど、落ち込んでいるわけではないんです。「俺、イケてるじゃん」という感覚がだんだん薄れてきているだけで。

──もしこのキャリアグラフが満点になるとしたら、どんなときでしょうか。

そうですねぇ……。最近は「よなよなエールでノーベル平和賞を獲ろう」って言っているんです。よなよなエールを愛する人たちの集まりで、争いごとは起こらないですからね。で、もしも5年後にノーベル平和賞を獲るようなことがあれば、満点になるかもしれませんけど、さすがに5年後は難しいと思うんですよ。でも、10年後か20年後にもし獲れたとしたら……そのときにはまた、もっと理想が高くなって、別の夢を掲げている気がする。すると、ノーベル平和賞では満足しないと思うんです。

──ノーベル平和賞さえ、通過点になっているかもしれない、と。

イーロン・マスクみたいに「火星に移住しよう!」とか言っているかもしれない(笑)。でも、こうして振り返ってみると、なんか『ドラゴンボール』みたいだな、って思うんですよ、人生って。

井手直行さんかめはめ波

──というと?

そのへんの道ばたで戦っていたのが、天下一武闘会になって、大陸になって、いつの間にか宇宙空間に行っちゃう(笑)。戦いのスケールがどんどん大きくなっているんです。しかも、悟空は渋々戦うんじゃなく、自ら楽しんでいて、互いを讃えるライバルが現れて、どんどん成長していく。

井手直行さんかめはめ波2

僕の場合、どん底のときに支えてくれた仲間とお客様の存在、そして星野の「とことんやろう」という言葉がなければ、少なくともいまの自分はいなかった。それと、三木谷(浩史)さんが立ち上げた楽天市場と、楽天の現経営陣がいなければ、いまの僕もヤッホーブルーイングもなかった。そうやって、自分の器以上にすごい人たちがいつも近くにいて、導いてくれたんです。だから、これからどんな人に出会えるのか楽しみだし、ワクワクしますよ(笑)

──すごい人と相まみえることで自分も成長する。まさに「人生はドラゴンボール」ですね。ありがとうございました!

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取材・文:大矢幸世

撮影:小野奈那子